本気で誰かを探していたわけではない。ただ、一度だけ検索範囲を広げてみた。
大阪と大分。場所も生活も違う二人の女性と出会った。
共通していたのは、感情をぶつけ合うよりも、互いに無理のない間合いを保とうとする姿勢だった。
距離があるからこそ近づける瞬間がある──
50代の出会いは、勢いではなく「距離を選ぶこと」から始まる。
大阪の看護師と出会った日 大人の距離感が縮まる瞬間
40代前半。ある病院の看護師の事務方管理職。大学生の息子と娘がいる。
写真を送ってきたとき、最初に目についたのは眼鏡越しの物憂げな眼差しだった。
静かで、落ち着いていて、それでいてどこか挑むような沈黙。椎名林檎の“本能”のMVを思わせる気配があった。
職場では「見た目と全然違う」と言われるらしい。おそらく、管理職という指導的立場であることもあり周りからはキツそうなタイプと思われているのだろう。
実際は、怒らない、断れない、優しい、といわれてるの──そう語る彼女の声は妙に透明だった。
初めて会ったのは、大阪の空港に隣接したホテル内の天ぷら屋。昼の光が差す窓際の席で、彼女は少し緊張したように箸を割った。
その日、私は上階のホテルに部屋を取っていた。“警戒されないように”。食後、自然な流れを装いながら言った。
「部屋で少し話しませんか」
彼女は戸惑いながらも、断らなかった。その時点で、私は彼女が“断れないタイプ”であることを確信していた。
部屋に入ると、彼女は客室乗務員のように束ねていた髪をほどいた。そんなに長かったのかと思うほどの黒髪が、バサっと肩に落ちると同時に、別の気配が立ち上がった。
静かな顔のまま、目だけが“雌の目”になっていた。あれは男を受け入れる時の目だ。
「あかんくない?こんなの」と彼女は何度も言った。けれど、その声は本気の拒絶ではなかった。罪悪感の形だけを並べ、自分の中の欲望に“言い訳”をしているように聞こえた。
彼女の服の下から覗いた下着は、驚くほど派手だった。清楚な外見との落差が、むしろ彼女そのものをあらわしていた。
表の顔と、内側の渇き。昼の天ぷら屋からこの部屋までの流れは、すべてそこへ収束していたように思う。
あの日の午後、ただの「出会い」は、きれいに裏返った。
彼女自身が言う“断れない優しさ”と、こちらの確信犯的な欲望が噛み合ったとき、物語はあっけないほど自然に始まった。
別府の出会い、大阪の再会 地方で出会う大人の余白
大阪での出会いから数週間後、試しに検索範囲を「全国」に広げてみた。
本気というより、半分は遊び心だった。
すると、大分の40代のバツイチ介護職の女性から返事が来た。
文面は短く、少し不揃いで、ところどころに絵文字が混ざっていた。
ただ、妙な“急がなさ”があり、返事が遅れても気にならなかった。
それだけで、大阪の彼女とは違う速度を持っていると感じた。
彼女と初めて会ったのは、大分空港の到着口を抜けた先だった。
「迎えに行きますよ」と言われたときは躊躇したが、
彼女は迷いなく手を振ってこちらを見つけた。
その笑顔は、写真の無表情とはまったく違う温度を持っていた。
40代前半。
別府の介護士。
夜勤と日勤が押し寄せる生活の中で、
疲れと明るさが奇妙に共存している女性だった。
文面には控えめな丁寧さがあり、
返信のタイミングはまちまちなのに、不思議と“重さ”を感じなかった。
駐車場に停めた白い軽自動車の前に立つ彼女は、
写真よりも柔らかい印象だった。
シートベルトを肩に通す仕草のたび、
胸元の豊かさがわずかに揺れ、車内の空気に静かな余白をつくった。
それは、生活の輪郭がそのまま身体に滲んだような、
派手さとは無縁の“実存の厚み”だった。
空港から別府に向かう道には海風が吹いていた。
窓を少し開けると、潮の匂いが混じった湿気が車内に入ってきた。
大阪では感じられない、どこか肺の奥に沈んでいくような風。
彼女が吸い込んだその空気が、胸元でふわりと上下し、
そのリズムが妙に落ち着いて見えた。
彼女はバツイチで、子どもはすでに独立していると言った。
「登録したの、子どもが押してくれたんです」と微笑む横顔には、
“誰かに無理をし続けてきた人の静けさ”があった。
疲れているのに優しさがにじむ人特有の息遣い。
彼女は突然、ゾンビ映画の話を始めた。
「USJのゾンビパレード、何度行ったか分からない」と誇らしげに言う。
別府から大阪まで、夜行バスでも飛行機でも、
ひとりで行ってしまう熱量。
そのギャップに少し驚いたが、
語る彼女の横顔は、仕事や日常から離れた“素の表情”だった。
別府の市街地に入る頃、
温泉の蒸気がゆっくりと空に溶けていた。
街全体が呼吸しているように見えるその風景は、
彼女の歩幅のゆったりさとどこか重なっていた。
2回目に会ったのは、大阪のUSJだった。
その日は連続の夜勤明けで「何か楽しみが欲しかった」とだけメッセージが来た。
園内を歩くとき、彼女は他人の視線を気にしなかった。
胸元の豊かさを隠そうともしない自然体で、
好きな世界に戻った人の表情になっていた。
夜のパレードの明かりの下で、
人混みの中、偶然肩が触れた瞬間、
彼女はこちらを見て小さく笑った。
その一秒は、言葉よりもはるかに大きかった。
説明のいらない “温度の共有” がそこにあった。
大阪と別府。
距離はある。
飛行機なら一時間。
だが、その距離がむしろ関係を軽くした。
近すぎない。
求めすぎない。
期待しすぎない。
大人の関係は、この「余白」で形になる。
別れ際、彼女は大阪湾から吹く夜風を吸い込みながら言った。
「こんなふうに誰かと一緒にいて、楽なの久しぶり」
告白ではなかった。
しかし告白より深かった。
彼女の胸元がゆっくり上下し、
その呼吸の落ち着き方が、
言葉より先に“安心”を伝えていた。
大人の出会いには、劇的な瞬間などない。
沈黙と距離感と、
すれ違いそうで重なる一拍。
その三つが揃ったとき、
関係は音もなく動き始める。
別府の海風を思い出すたび、
あの小さな笑みだけが、
深夜のラジオのように静かに再生される。
距離を味方にする恋愛 50代が無理なく続ける出会い方
大阪と別府。
環境も速度も異なる二人だったが、共通していたのは、
「近づきすぎない」ことへの繊細な感覚だった。
若い頃は、距離を縮めることが“関係”だと思っていた。
しかし50代の出会いでは、互いの生活の速度を崩さないまま存在できる距離が、最も長く安定する。
近づくことではなく、「離れすぎず、寄りすぎない」感覚。
それは、言葉を尽くした関係よりも確かなものを残すことがある。
──気が向いたときに使えばいい。

